危険嗜好

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 この体になったことを、正直悲しいと思ったことはない。

 物心ついた時から走査屋は肉体というものに違和感を覚えていた。いや、はっきり言えば走査屋にとって肉体は幼い頃から無用で邪魔なものだと認識されていた。

 その認識が、走査屋の能力に関係していることは確かだろう。生まれた時から自分の能力を知るまでの間は――それは振り返ってみればたったの四年間しかなかったのだが――確かに肉体は違和感などなく走査屋のものだった。どこへ行くにも肉体がなくては、その肉体が健康でなくてはならなかった。

 今でも現実世界を移動するなら、不自由であっても肉体がなければ不可能だ。人は完全にその存在を電子の世界へシフトすることはできていない。これからもそれは出来ないだろう。電子の世界は単純で、走査屋にしてみればとても魅力的なものだけれども、その単純さは複雑な人の精神をそのままの形で受け入れるには容量が足りないのだ。

 だからその電子の世界の限界が、そのまま走査屋の能力の限界でもある。電子の世界で繋がっていれば、走査屋はどこにでも行くことができる。だが電子の世界で繋がっていなければ? 通常以上に、走査屋は行動を制限されるだろう。そんなことになる体を、走査屋ははっきり言って嫌悪しているのだ。だからと言って捨てられないことが余計にもどかしい。肉体でしか行けない場所があるということは、いくらそれが嫌悪の対象であっても、電子の世界でしか使えない能力の限界を少しでも補うことができるという可能性を持っているからだ。

 事故で半身不随となった走査屋は、その能力が体にかける負担もあって、定期的に治療屋と呼ばれている生身の人間専門の医者の元へ通うことを義務づけられている。形としては雇い主の命令だが、実際にはこの診察前に必ず連絡を入れてくる幼馴染の、命令よりも拘束力の強い“お願い”だった。

 仕事が重ならなければ、自ら迎えに、そして付き添いにまで来てくれる彼女は、あいにく今月は仕事ずくめの毎日を送っていると電話でぼやいていた。

「ちゃんと診察に行ったかどうかは、後で治療屋に確認するからね。面倒でも絶対に行くのよ!」

 走査屋の性格を熟知している彼女は、そう言って釘を刺した。だが走査屋だって彼女の性格は熟知している。もし今日、走査屋が診察へ向かわなかったとしても、彼女は溜息ひとつで走査屋を許すだろう。そして今度こそは、と仕事を片付けて自分で走査屋を引っ張り出すに違いないのだ。走査屋としてはそれを待っても構わなかった。この不自由な体で外へ出るというのは、相当な気力が必要だし、そんな気力があるのなら走査屋は電子の世界で過ごしたいと思っているからだ。

 だが今回走査屋は、文字通り重い腰を車椅子に引き上げて、一人で治療屋の元を訪れた。治療屋は珍しく一人で診察にやってきた走査屋を、多少のからかいの言葉と共に迎えた。

 月に一回の診察は一時間ほどで終わった。時間がかからないということは、何も問題がなかったということだろう。

「治療屋」
「なぁに? ねぇ、少しはリハビリしてる? あんたの場合はまず日々の食生活の方が心配だけど。今日はここで食べて行きなさいよ。それとも可憐と約束してるの?」

 走査屋は診察のために開けていた衣服の前を閉めながら、治療屋と呼ばれる男性の矢継ぎ早な質問を聞いていた。走査屋がいくら自分の肉体を邪魔なものとみなしていても、蛇が脱皮をするように、精神だけ肉体から離れてしまうことはできなかった。

 走査屋の能力は確かに自分の精神と、電子世界を繋げることができる。だがそれには時間的な制約があるのだ。電子世界にいられる時間は、そう長くはない。精神がいくら電子世界で自由を享受しても、走査屋の精神は必ず現実の肉体に戻らなくてはならない。この、事故に遭ってから一層不自由になってしまった檻のような肉体へ――。

 そんな体を維持するという行為に、走査屋が熱心ではないことは彼を知っている誰もが認めることだった。面と向かって指摘してくる者はもはやいなくなったが、それでもことあるごとにちくちくと口を出してくるのは治療屋としては仕方のない行為なのだろう。

「カレンは仕事だ。食事はここで摂って帰る。リハビリはしていない。ここ三週間、家を出ていないからな」

 走査屋の淡々とした答えに、治療屋は綺麗にカールした睫毛で飾られた瞳を大きく見開いた。多分、最初の答え以外のものすべてに驚いているのだろう。

「あらまぁ、あんたそのうち内側からカビが生えるわよ」

 一時期アメリカでそんな病気も流行ったな、と走査屋は思った。確か自分が生まれる前のことで、今は薬も開発されているはずだが。

「換気はしている」

 機械屋の仕事場と同じく、走査屋の部屋もコンピュータのために空調設備だけは完璧に働くようにしてある。それを言うと治療屋はあまりいい顔をしない。機械にとっての快適温度は、走査屋のような体温調節の難しくなってしまっている半身不随患者には寒すぎるらしい。そう感じたことはないのだけれど。

「あ、そう。それでも三週間前には外出したのね。エライ、エライ」

 あまり気のなさそうな声で褒めて、治療屋は診察の結果を素早く電子カルテにまとめた。処方される薬はいつも通りだろう。

 流華堂という店で古い懐中時計を買ってからというもの、それを手にする前と比べると奇妙なほど体調が安定している。走査屋が何となく感じていることを、治療屋ははっきりと口にしていた。原因ははっきりとしないが、悪い状態ではない、と。勿論、魔法のように突然状態が良くなり、歩けるようになるわけでもないのだけれど。

 何故だろう。必ず身につけるようになった懐中時計は、今も走査屋の服のポケットの中で時を刻んでいる。まるで心音とシンクロするように秒針が時を刻む。それに思わず妙な安心感を得て、こうして外出する時以外でも走査屋は時計を手放せなくなっている。こんなこと、今までなかったはずなのに。

 この変化を走査屋は誰にも言えないでいる。打ち明け話として語るほど不安があるわけでもなし、まして体調と時計の因果関係は、それらを結びつけて考える方がどうかしている。たまたま時期が重なっただけなのだろう。たぶん治療屋の地道な仕事のおかげで、走査屋の体調は安定する、そういう時期だったのだ。それにたまたま時計の入手時期が重なっただけ。不思議はない偶合だ。

「今度はこちらが質問しても? 治療屋」

 時計のことはそうやって自分に納得させる努力をしていたから、走査屋は今日一人で診察に訪れた目的を果たすべく口を開いた。

「何?」

 今日の診察結果を加えた走査屋のデータを一覧していた治療屋は、しおらしくお伺いをたてるような言葉を発した走査屋を珍しそうに見た。

「男はやはり顔だろうか」

 走査屋の簡潔な質問に、治療屋は黙って天井を見上げた。それからあからさまな溜息を落として首を小さく横に振る。

「……それは何? アタシに同性としての意見を求めてるの? それとも異性として?」
「女性としての意見を期待している」

 そう答えなければ治療屋は答えを返してはくれないだろう。それに走査屋は治療屋が自分を女だと主張することに対して、特別それを否定するつもりはないのだ。女として扱われたがるわりに、簡単な性転換手術さえ行わないという主義には首を傾げるが。

「そういうことなら何でも答えるわよ。お姉さんに任せなさい」

 治療屋はない胸を張って走査屋の質問に答え始めた。

「そうねぇ……。やっぱり第一印象は顔よね。声も良いけど。キスするなら顔が良いほうがいいし。でも良い顔の定義も人によってまちまちでしょ?」

 そう言いながら自分にとっての“良い顔の男”を思い浮かべているのだろうか。治療屋の目はうっとりと細められた。治療屋が何人の男の顔を思い浮かべたかは分からないが、その中に確実に入っているであろう人物を狙って、走査屋は指摘した。

「しかし誰からも“良い”と言われる男もいるだろう」

 走査屋の言葉に、治療屋の顔はにわかにしかめられた。それがすぐに誰のことか分かったからの反応だった。

「破壊屋のこと? あの男に女がつくのは顔のせいじゃあないわよ」

 正確には“顔だけのせい”ではない、ということだろう。走査屋は皮肉に返す。

「じゃあこう言おう。女性は危険な男が好きなのか、と」

 すると治療屋はそれ以上の皮肉で返してきた。

「男だって危険は好きでしょ? あんただってスリルがなければ仕事をする気にもなれないんじゃあない?」

 治療屋の指摘は最もだった。走査屋がわざと肉体の限界ぎりぎりの時間まで電子の世界に潜るのは、戻れなくなるかもしれないという危険を強く感じたいからなのだろう。戻れなくなるかもしれない、という危険があることで戻る場所があるという生を感じることができるからなのだ。

「どちらも人間ということか」

 走査屋が苦笑すると、治療屋は思わぬ真剣さで走査屋に言った。

「可憐のことなら心配ないわよ。あたしから言わせればあれは恋じゃあないし、可憐もそれは分かっているように思うけど? それに破壊屋の方が相手にしていないから。今は現実的に見ているつもりで、実際は夢を見ているだけ。気長に待ちなさい、青少年。少女だって夢から醒める時が来るのよ」

 可憐の破壊屋へ向ける関心が一般に恋と呼ばれるものではないことは、走査屋も理解しているつもりだった。ただ可憐は破壊屋に対して、誤解を含んだ夢を抱いているのだ。そんな態度が、走査屋には許せなかった。

「破壊屋は夢から醒めた女を、少女に戻すことだってできる」
「でもそういう女は、心のどこかで分かっているのよ。この男は自分のモノにはならないってね」

 自分のモノにはならない。絶対に。でもそれが分かっていても、モノにしたいと思うのは止められない。それもスリルを求める人間心理と同じものではないだろうか。

「君も? 治療屋」
「そうよ。女でも男でも、あの男を捕まえられる奴がいたら是非拝みたいわ。きっと人じゃないわね、そいつは」

 治療屋の意見を聞いて、走査屋は一人の男性を思い浮かべた。この世で唯一、破壊屋が自ら興味を抱き、それなのにまだ壊していないという特別な存在。治療屋の主張が的を射ていると仮定すれば、走査屋が会った彼は人ではないことになる。そこまで人間離れした印象を受けたわけではなかったが、人ではない、と言われれば有り得ないと返すことが躊躇われるものを感じたことも確かだった。

 三週間前に訪れた流華堂の主人。破壊屋からもらったという着物を着ていたが、そもそも破壊屋が誰かにものを与えるというのが異例の事態だった。興味を覚えた走査屋はこの三週間あの流華という青年について調べていた。

 走査屋がそれだけの時間を費やしても、彼について得られた情報は殆どなかった。流華堂の前の店主と彼が血縁関係にあるわけではない、ということは分かった。流華堂は、登録されている情報の上では今でも死んだ前の店主のものなのだ。それを譲り受けたと思われる流華には、戸籍がない。つまり彼はデータ上、この世界には存在しない人間になっている。偽りであっても“データ登録管理されている者”が人間だとすれば、登録されていない流華は人間ではないと言える。破壊屋がそうであるように。

「何故?」

 走査屋と同じような考え方をしたわけではないだろうが、治療屋も破壊屋という男について結論としては同じものを得ているらしい。

「破壊屋が人間じゃあないからよ。だから青少年。あの男に喧嘩売ろうなんて考えないでよ」

 治療屋が真剣に忠告したが、走査屋はそれに苦笑で返した。喧嘩なら多分、もう売ってしまっている。流華が本当に破壊屋にとって特別な存在であれば、彼について調べられることを破壊屋はよく思わないだろう。走査屋はそれを分かっていて、この三週間はわざと表面をなぞるような走査しかしていない。

「喧嘩にもならないだろう? あの男にとっては」

 しかしこの喧嘩は買ってもらわなくては意味がないのだ。それだけの危険を冒す価値があるのかないのか、それを知るためにも。

 それは可憐のことだけが気がかりでそうしているのではない。やはり、いくら自分を納得させてもただの偶合ではない何かが、走査屋を流華堂へ導いていると思えるのだ。

「でも煩くは思うでしょうよ、あの男でも」

 そう、流華堂へと導かれるその道筋にはいくつもの謎と、危険がある。走査屋はそれを感じたいのだ。

「……なるほど、煩わしければ壊す。いかにもあの男の考えそうなことだ」

 だがもし破壊屋がその謎に近づくことを許さなかったとしても、仕方ないと道を引き返すのは走査屋の趣味ではない。

「そして行動することを躊躇う男ではないわ」

 不適に笑った走査屋を案じて治療屋は続けたけれど、彼が心の内で何を思っているかは、走査屋も理解しているつもりだった。

「淳一、女としての意見を言わせてもらえば、男はいつも言葉が足りないわ。破壊屋のことなんて考えていないで、可憐をデートにでも誘いなさい」

 多分、治療屋はこの後可憐と連絡を取るだろう。そして走査屋のことにいつも以上に気を付けているように言うに違いない。可憐はそれを真剣に受け止めて、仕事の量を減らしてでも走査屋の部屋を訪れる時間を作るかもしれない。それは走査屋にとって望むところであり、そうされたからといって走査屋の走査に支障は出ない。

 いうなれば、走査屋はこうして治療屋をたきつけて可憐が自分の側に戻ってくるように仕組んだのだ。そちらの計画はいい結果を出すだろう、と走査屋は思った。もうひとつの計画は、果たして走査屋が描いた道筋を上手く転がっていくかどうか分からない。

 だが未知とは危険であり、そして魅力だ。

 そう思って微笑む走査屋の懐で、時計が何の危険も感じさせない確実さを持って時を刻んだ。

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